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まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

昨日は、夫が溜まりに溜まった現場データ整理のためにパンコンを一日じゅう占拠。
息子は午前中はのんびりと家にいたものの、午後からはとっとと遊びに出てしまった。

Netwebのサイトデータの引越しや、メールアドレス変更のお知らせ処理など、パソコンで処理したいことが山ほどだったの、ちょうど良い機会だから、とネット漬け状態を今日は一日お休みしよう…とのんびり構えることに。

「パソコンだらけ」も「パソコンだけ」もどっちも良くないものね(*^-^*)。
インターネットの楽しみを否定するつもりは毛頭ないが、ネット世界にどっぷりはまりはじめてしまうと、自分の他の生活領域や周囲の人とのふれあいが希薄になりがちなのは経験済み。
バーチャルな世界はあくまで実体のないものだから、そのあたりの認識をきちんと抑えた上で職種を伸ばしていかないと、何のための道具だったのかわからなくなってしまう…。
あくまで「リアルな実生活」を豊かにするためにあるものだから、たまには電脳世界からの切断をしておかないと、自分の感性や感覚が鈍っていくのではないかな…と不安になることも増えた。

まして、私の場合、職場でもインターネットやITがらみの仕事をしているものだから、こう毎日毎日パソコンをいじり続けていたのでは、気も休まらないというものだ(笑)。
ドライアイに肩こり、頭痛…。からだにもいいことは決してないのは言うまでもない。
週に1度は「コンセントを入れない日」を設けて、息子とのんびり過ごすとしよう。
スケッチブックを広げて絵を描いたり、一緒に何かを拵えたりする日にしている。

といった次第で、昨日の日曜日は「コンセントを抜く日」と決め、久しぶりにテレビなどを見ていた。
炬燵に布ナプキン第二弾の材料を広げてちくちくしながら、テレビの音を流しておく。

前回の手づくりナプキンは、息子のおむつパッドの再利用だったのだが、今回は近くの手芸店で1.5メートル750円で購入したピンク地にクマ柄の薄い綿ジャージーを使用。
のんびり手縫いをしながら、聴くともなしにテレビから流れてくる音声を聴いているという「ながら視聴」を行っていた。

TBSの『噂の東京マガジン』が終わった後、チャンネルを切替えていたら『短い命を刻む少女 〜アシュリー〜』http://www.fujitv.co.jp/jp/pub/ashley/というタイトルが目に飛び込んできた。
ザ・サイエンスフィクションと題されたフジテレビ系列の番組。
どうやら昨年の4月にも放送された番組の再放映らしい。

番組はアシュリーの生まれつきの病についての解説ナレーションから始まった。
アシュリーのママがアシュリーを起こす画像と重ね合わせながら。
そこには…11歳の精神を持ちながら、肉体は100歳近くまで老化してしまっているという「プロジェリア」という、世界でわずか30人しか患者のいない染色体異常による病と闘う一人の少女の姿があった…。

彼女がベッドから顔をのぞかせたとき「あ…昔絵本で読んだ小さい魔女さんみたいだ」と私は思った。やさしそうな目…病気のせいで抜け落ちてしまった頭髪、そして頭に浮かび上がっている血管、やせほそった小さな手足…。
はじめて見る人は、その姿に少なからず驚くことだろう。
しかし、やさしく彼女を起こすママの声に応えるアシュリーの声は、11歳のこどもそのものだ。
けれどアシュリーは自分の病気のことも、寿命が13歳程度までなのも全て知っているのだ。
まだたったの11歳だというのに…。

音だけ聴いてパソコンに向っていた夫が「ねぇ、これ見るの?なんだか寂しくなってきたんだけど…」と見ていられないといわんばかりの発言。
うん…たしかに見ているの辛いよね。ふみやと同じ年なわけだし。
でも、アシュリーもアシュリーのママも一生懸命生きているのが、とてもよくわかったので、番組を最後まで見届けたかったのだ。

チャンネルを合わせたのも何かの縁…。
アシュリーが精一杯自分の人生を大事に生きていたという証を、アジアの島国のオバサンが、ブラウン管を通して見届けるのも、全く意味のないことではないだろうから。
彼女の存在を知ること、そして遠く離れた場所からでも彼女に愛を送ること。
今、私に出来るのはそれぐらいしかないけれど、でも…少しでも生きることが楽しいと感じられる瞬間を長く大切にしてほしいなあ、と切に願わずにはいられなかった。
裁縫仕事をしていたことなどすっかり忘れ、1時間、身じろぎもせずブラウン管を通してアシュリーからのメッセージを受取ることが出来て本当によかったと思う。

アシュリーは生き物が大好きだ。
犬や猫だけでなく、番組の収録期間には「ナナフシ」という昆虫も飼っていた。
ナナフシの寿命は2〜3ケ月らしい。
ある日、ナナフシの元気がなく動かなくなってしまった。
心配でたまらないアシュリーは、水槽から出しエサを与えたり、霧吹きをかけてあげたり手当てを一生懸命行った。
まるで自らの命を託すように…。
幸い、その日ナナフシは一命を取り留めたものの、皮肉なことに次の日、アシュリーの大事にしている犬がナナフシを食べてしまった(^^;
アシュリーはとても哀しんだけれど、ずっと落ち込んでいたわけではなかった。
「悲しいけれど、命はいつかなくなるもの。死んでいくものだからし方がない。」
「それに…もしかしたらこれで良かったのかもしれないと思うの。ナナフシは苦しんでいたのかもしれないから」
不治の病を抱えつつ、命や死と向き合うのは心底辛いことだったろうに、どうしたらここまですっぱり思うことが出来るのだろうか。
誰よりも生き物を大切にするアシュリーならではの言葉。
そして、たぶん誰よりもナナフシの死が辛いであろうアシュリーが、周囲の人に気遣いをさせまいとの思いもあってのやさしい心配りの言葉でもある…。

胸がいっぱいになる場面はほかにもいくつもあって、母と子の強い絆に支えられた生きるための闘いに、自分の日常がかすんで見えた。
私たちは真の意味で「生きて」いるのだろうか?
きちんと自らの命や生きる意味と向き合っているのだろうか?
自分の病気に関しては、一切の泣き言を言わないというアシュリー。
アシュリーとママのひとことひとことが、心の奥底に忘れかけていた様々な大切なことを思い出させてくれた。

3月20日、その後のアシュリーの生活が放映されるという。
3月17日には、母親の手記も刊行されるとのこと。
本を読んだ上でブラウン管を通してアシュリーに再会出来る日を楽しみに待つこととしよう。
アシュリーが、わたしたちにも分けてくれた魔法の言葉を大事にしながら。