まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

あれから10年

10年前の1/15、高校時代の友人の結婚披露パーティが渋谷で行われました。
当時、まだ2歳だった息子を連れ、一家三人でお祝いにかけつけたのがつい昨日のことのように思い出されます。
オートバイ、サバイバルゲーム、漫画同人誌など、多彩な趣味を持つ友人のお相手は、7歳年下のSEさん。
渋谷で開かれたお披露目の会には、仮面ライダーの仮装ショー(ショー用のホンモノの着ぐるみでした)あり、プロの声優になった友人の歌あり、・・・と、とても賑やかで楽しい集いとなりました。
年齢差ゆえ、色々な障害もあったことと思いますが、両家のご親戚の方もこのパーティーに出席してくださり、関西方面から上京なさった叔母様と楽しくお話させていただいたのも良い思い出です。
息子はまだ小さかったので、間近で見た等身大の「ライダー」や「ショッカー」、怪人たちがちょっぴりこわかったらしく、少しぐずったりしたものの、参列した誰もが皆幸せな気持ちになる、そんな素敵なお披露目の会でした。

その宴の翌日、休日なのでいつもより遅く目を覚ましました。
ガスに火を入れお湯をわかしながら、何気なくテレビをつけたところ、あたり一面火の海の映像が・・・。
炎の勢いはすさまじく「消火活動が行なえない状況です」と繰り返し叫ぶアナウンサーの声に、一体何が起きたのだろうか、とすぐには理解できませんでした。
夫をたたき起こすのももどかしいまま、くいいるように画面をただただ見守っていました・・・。

大きな地震があったということがわかると、すぐに友人のところに電話をかけました。
お式でご一緒させていただいたご親戚の皆さんは無事だったらしいことが判明。
ほっとしたのもつかの間、街が崩れ、燃えさかる炎のあまりにも強い様を眺めているのがどうにも辛くて、人間の非力さを厭というほど痛感したあの日・・・。

今日1/16は、阪神・淡路大震災の起きた日。
あれから10年、当時2歳だった我が家の息子も4月からは中学生です。
10年前、結婚式を挙げた友人は、今では男の子二人に恵まれ一家四人で元気に暮らしています。

あのときの披露パーティーにやはり参列していた友人のお父様は、神戸支社の瓦礫整理で肺を痛めてしまったことが原因で肺がんになり、震災からほどなくして帰らぬ人となりました。
自身が看護士である彼女は、お父様の病状その他がわかりつつも、どうすることも出来ずにお父様の癌と向き合い、辛い時間を過ごしました。
彼女は昨年、お母様を「関西に一人残しておくのが心配だから」と職場を変え、大阪に引っ越しました。
「住み慣れた土地からおかんを引き離さないというのが、父との約束だったから」と。
彼女は今日、一体どんな思いで過ごしたことでしょうか。

この10年間、短かったのか、長かったのか・・・。
息子の背丈は167センチになり、足のサイズは26.5センチにまで成長しました。
一見つつがなく過ごしているように見える我が家にも、様々な事件、辛いこと、哀しいことなど、いくつもの波がありました。
震災で被害を受けた方々のこの10年間は、どれほど重たいものだったことでしょう。
今朝、災害発生の時間には黙祷を捧げさせていただきました。

仕事から戻り夕餉の支度を整えながら、息子に10年前の話をしました。

ふ「今日ね、学校でも黙祷したんだよ。」
私「まあ、そうなの? 何時ごろ?」
ふ「給食の前。みんなでお祈りしたの。」

息子の学校だけの黙祷だったのか、県全体の黙祷だったのかは分りません。
こどもたちの祈りが、震災の犠牲となった方々のみたまに届き、たましいが安らかであれば、と願いました。
命について、あるいは「生きていくということ」「生かされているということ」の大切さをかみしめ、毎日を大切にしてゆきたいと思います