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まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

自らに由る

今日は大学時代の恩師の告別式参列のため、仕事のお休みをいただき、朝早くから神奈川県まで出かけました。

埼玉からだと一都二県のちょっとした小さな旅です。
新宿から小田急線に乗り換え登戸で南武線へ。
登戸駅は現在工事中。
駅員さんが南武線のホームでは乗り場を案内してくれていました。

朝方はあまりよくないお天気だったものの、告別式が始まる頃にはおひさまが出てきて、喪服の上着が暑く感じられるほどに。
現在の学長から亡くなった先生へのお別れの言葉が述べられた後、教え子代表として大先輩がマイクの前に立たれました。
在りし日の先生の思い出が語られるたびに、私たちの脳裏にもあの懐かしい笑顔が浮かんできて目の前がぼやけてしまいました。
その先輩の言葉の中に「先生は、どんなに稚拙であっても自らを表現しようと試みる者、自らの足で立ち上がろうとする者に対しては、いつもあたたかく見守っておられました」という一文がありました。

「自らを表現する」=自らの言葉で語る、と言い換えてもいいかもしれません。
とかく、表現の技法やその上手い下手にのみフォーカスされがちな学問の世界にあって、先生はどんなに拙い表現であろうとも、その表現者が何を伝えようとするのか、いつも心をくだいて汲み取ってくださり導いてくださっていました。

学園祭でネコ耳をつけて女子学生と並んで歩いたりもするお茶目なところのある先生でした。
その一方で「言葉を用い表現してゆく文学は、決して生活と切り離されるものではない。生きていく上で必要なものなのだ」ということを折りに触れ、私たちにもわかるよう噛み砕いて教えてくださっていました。

電車の中の長旅用に、とバックの中に忍ばせておいた本は玄侑宗久氏とA・スマナサーラ長老の対談集『なぜ、悩む! 幸せになるこころのしくみ』。
お二人の対談の中に「個性」や「自由」についても論じられている箇所があり、亡くなられた先生が常日頃おっしゃられていた事柄と重なる部分も多く、心地良い電車の揺れに眠りを誘われることもなく読みふけりました。
「自由」とは「自らに由る」ところにより得られるもの。
「森の中の象のようにあれ」は、母校のカラーそのものだったことをあらためて確認しました。

それにしても、同窓生に会うのが悲しい知らせの時、というのはなんだか切ないものですね・・・。