まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

祈りは心のストレッチ

  
毎日、朝・晩とストレッチポールに乗っているおかげだと思いますが、このところ肩こりに悩まされることが少なくなりました。
生理の前になると頭痛や倦怠感がひどかったのも緩和されているので、ポールを買う前は「高い買い物にならなければいいけど・・・」なんて思っていたのが嘘のよう。毎日、疲れたからだをほぐしてくれるのですから、結構安い買い物だったなぁ、と喜んでいます。

さて、からだのほうはストレッチポールやゆる体操などで自分なりのゆるめ方がわかってきたのですが、日々暮らす中で心の中に澱のようによどむあれこれをどうほぐしていったらいいのかな・・・と模索中。
ヴィパッサナー瞑想や内観など色々試してそれなりに心を穏やかにたもつ術を少しずつ身につけつつあるのですが、最近は祈る機会を増やすことで心を真ん中にもどすことを心がけています。

思えば私が「祈り」にはじめて接したのは生後まもない頃のこと。白血球が人より多くて余命いくばくもないと告げられ母がおろおろしていた頃、なぜか同じ病室だったクリスチャンの殿方とその奥様が赤ん坊の私をたいそうかわいがり、毎日私のために祈ってくださっていたのだそうです。

私が退院する前に、残念ながら祈ってくださっていた同室の男性は亡くなったそうなのですが、両親はよく「あのご夫妻が毎日おまえのために祈ってくださったこと、今の命に大きくつながっていると思う」と繰り返し話してくれました。

誰かの幸せのために、あるいは世の中の平和のために「祈る」ということ。
「祈りは積極的な行動ではない、祈るだけでなく行動を起こさなければ意味がないじゃない」とあるとき友人に言われたことがあります。

「祈る」イコール「行動しない」ではなく、「祈る」イコール「意志」なのではないか、あるいは「生き方の選択肢をみつめること」なのではないか、と最近思うようになりました。
「祈り」は全てのことのスタート地点なのではないか、と。

神道のお祈りの方法や、お経、大祓えの言葉など、様々なお祈りの言霊が好きで実践しているのですが、最近はロザリオの祈りを唱えることが増えました。

ロザリオの祈りはフルで行うと、それはそれはとても長い時間が必要で、私の生活の中に取り入れるのはかなり困難なのです。
好きな祈りの言葉といっても5環全部唱えるのは難しい・・・。
クリスチャン関連のサイトにお邪魔してあれこれ読んでみたところ、ミニロザリオやポケットロザリオを使って、もっと身近にロザリオの祈りを唱える人も増えてきているようですね。

バックの中にしのばせておいて違和感のない、あまり宗教色の強くないロザリオが欲しいな・・・と思っていたところ、みりんさんのサイトで素敵なピンクシルバーのガラスパールで作ったブレスレットを発見♪
http://describe.blog58.fc2.com/blog-entry-36.html

やさしいピンク色が素敵だったので、そのパールで小さなロザリオを作っていただきました。

時を同じくして、女子パウロの会経由で購入した『祈りの抄』(カルメル修道会・刊)にはさまれていた紙に、ミニロザリオの祈り方と、カルメル会の宇治修道院にてミニロザリオ(玉の数が20個)を分けてくださることが記されていました。
早速、問い合わせてミニロザリオを求めさせていただきました。

毎朝カルメル会のミニロザリオでロザリオを唱えていますが、これならものぐさな私でもなんとか続きそう(^^;

みりんさんの拵えてくださったポケットロザリオが本日到着。
職場に持参して休憩時間やクサクサした時にちょこっと祈る折に使おうと思います(恥ずかしいので声は出さないですけどね。)デスクの上のリラックマの缶詰にかけておいてもいいかもしれない。心和むやさしいピンク色がきれいです。
十字架の部分はスワロフスキービーズなどでキラキラ♪に仕上げていただきました。

一番右の写真は、数年前、四谷のサンパウロで購入した紫檀のロザリオ。
フルバージョンロザリオの登場機会はなかなかなさそうですが、大切なのは祈りの回数ではなく、自分なりの言葉と気持ちをこめて祈れればいいのかな、とカトリック信者でない私はものぐさな思いを抱きつつ毎日心のストレッチ中。
以前より、イライラしたり・怒ったり・くよくよ迷うことが少なくなってきたみたい。

一人一人の心が今よりほんのちょっとでも平和であれば、いつの日か、この世界から無益な争いがなくなってくれるのではないかしらと夢みつつ、心のストレッチを実践中です。