今、ここに在る、ということ。
今の職場で仕事をするようになって早や7年。
Webの管理・運営を中心として、デジタル周りの万屋みたいなことをして、毎日バタバタと事務所の中を走り回っています。
職場ではいまだに「office 2000」が動き、Acrobatにいたってはバージョン5のままで仕事をこなす毎日。
あちこちから送られてくるファイルが開けないことが大変多くなりました。コンバーターやフリーソフトのお世話になりながら、いかに経費をかけずに仕事を成し遂げるかに腐心するのは当たり前。
私物のガジェットやソフトを持込むなどでやり過ごしてきた7年間…。
このような状況の中、とあるサイトの仕組みそのものをリニューアルする、という動きが昨年秋あたりからちらほらと。
もう4年以上も手を入れずに動かしていたシステムのリニューアルに着手するのは当然のことなのですが、その開発に至るまでの経緯や、そして仕事をお願いする会社に対するもやもやみたいなものが、ずっと鬱積したまま、ついに夏を迎えてしまいました。
大きなお金が動くプロジェクトなので、想定できる危険なことは排除したい。
私なりに色々対処しているつもりではあるのですが、どうやら体制の上の方ではまた違った動きが。
パワーゲームで動く世の中。
自分が毎月いただいているお給料と、出されてきた運用費の見積りを眺めたときには、正直、膝からざわざわっと力が抜けていくのがわかりました(笑)
詳細は控えますが、いわゆる事務処理全般の手間隙かかる地味な仕事は事務所内でこなすことになり、それ以外の読み物的なものにお金をかける、という考え方。
サイトを陳腐化させないという工夫はたしかに大切だけれど、もともと予算がない中、どれほどのレベルの読み物が出来上がってくるのかといった実績のないままに、議論がどんどん進んでいくのは、一歩退いた立場で眺めているものの、やはり切なく空しい気持ちになりました。
しかしまぁ、決定権のある場所で何がしかのことが決まれば、それにしたがって働かなければならないのが勤め人の世の常です。
わが身のちっぽけさを振り返り、あれこれと周囲と比べても仕方がない。
比べれば比べるほど、心が窮屈になるだけなのだ、と夕方のお散歩の時にふと気がつきました。
Twitterを本格的に楽しみはじめてから発見した、自分なりのモノの感じ方、面白がり方をもっと大切にした働き方があるのじゃないかな。
今の職場に至るまでに蓄えた力や、やってみたいことへの好奇心など、私にはまだまだ力となるものがこの身の中にあるはず…。
透明度の低い職場全体の動きに対して腐るのではなく、自分がいる、「今、この場所」で出来うる一所に心をフォーカスしよう。
自分に悔いが残らない仕事をしてゆこう。
気持ちを切り替えることにしました。
不完全燃焼な部分があるとすれば、それは今の職場では実現しないことなのかもしれません。
新しい一歩を踏み出すいい機会なのかもしれない…。