読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

地震で壊れた土鍋の代りに「まほう鍋」を買いました

つれづれ おいしいものが好き

3月11日のあの時間、私は職場にいました。
週明け月曜深夜0時に更新を予定していた、とある資格試験の合格データの確認・整理などしながら、パソコンの前で作業中だったのです。


地震の直前、椅子の下からざわざわした感じがやってきました。


あれ?と思ったものの、所内の誰も妙な気配は感じていない様子。
気のせい?…と思った途端、ドーンと大きな揺れがやってきました。


「あ、揺れてます!」「え?」
所内を動きまわっていた全員が止まり、神経を凝らしていました。揺れはなかなか収まりません。そのうち、各課の頭上に掲げてある案内板が上から落ちてきました。パソコンのモニターも机から落ちてきそうなほどガタガタ鳴り出す始末。


「外に出ましょう!」
エライ人の声がかかりすぐ、給湯室のガスの確認を行いました。エレベータを確認・停止する人、専門相談の部屋に急ぐ人・・・と建物内の全員が外に出るまでの慌しかったこと。

外に退避したものの、しばらくしてまた大きな余震。
ラジオの聴ける携帯や、カーラジオを動かすなどして外の情報を得ました。携帯電話はまったく使えない状態です。しばらく駐車場で待機し、建物の中に戻ると停電して真っ暗。


幸い所内サーバーの非常用バッテリーが作動し、固定電話はしばらく生きていました。しかし回線の混雑がひどく、連絡のつく先は限られていました。まして都内に出張していた所員とはなかなか連絡がつきません。ほどなくして携帯メールが使えるようになり、本人・同行者の無事が確認できた時は事務所全員がホッとしました。


私は常勤パート。定時退社なら午後4時には上がれます。
地震直後、自宅、息子の携帯共に連絡がつかず心配でならなかったので、あの日は定時退社させて戴き、自転車をかっ飛ばして自宅へ。
停電エリアはかなり広範囲で、どこもかしこも信号がストップしていました。駅周辺には警察官が出ていましたが、中心部を離れると手旗信号もありません。自宅までは幹線道路を複数横切られなければなりません。切れ目なく走る車の合間を縫うようにして家路を急ぎました。その後、計画停電時に何回も経験することになるのですが、信号が動かない時に走る自動車をあれほど怖いと思ったことはありませんでした。


幸い、自宅は停電を免れていました。
テレビの画面から刻一刻と伝えられる惨状の凄まじさには声も出ませんでした…。夫は岩手の出。両親・親戚とも連絡がつきません。東海村にいる私の親戚のことも心配でなりませんでした。


自宅の中は、といえば、神棚が落ちて畳が水浸しになっていたり、コンロの上に出しておいたダッチオーブンがかなり遠くまで飛んでいたり。様々なモノが落ちたり破壊されていましたが、一番気に入っていた大きな土鍋が真っ二つに割れていたのを見て、あらためて揺れの大きさを痛感しとても怖くなりました。


帰宅直後、息子は自宅にいませんでした。携帯へ電話をかけ続けるも連絡が取れません。片付けを行いながらじりじりと息子の帰宅を待っていると、午後6時頃帰ってきました。自動車教習所に行っていたとのこと。玄関で元気な顔を確認できたときには涙が出そうになりました。


翌日に高校の卒業式を控えていた息子は教習所の時間まで間があったので、地震発生時は炬燵の影になるようにして昼寝をしていたそうです。熟睡中、ガシャーン、パリーンと凄まじい音がし目が醒めると突き上げるような揺れ。「死を覚悟したよ」と覚悟を決めたとか…。揺れが収まり家の中を片付けようかとも思ったそうなのですが、あまりにもひどい有様だったので、そのままにして教習所へ向かったのだということです。


翌日の卒業式は無事に開催されるのだろうか?
職場のサーバーは大丈夫だろうか? 週明けの合格発表は?


さまざまな不安や心配ごとが脳裏をよぎりました。
その後もかなり大きな余震が続き、いつでも飛び出せるよう洋服を着たまま布団にもぐりこんだあの夜の怖さは忘れることが出来ません。


都内にいた夫はもちろん帰宅不可能。あの晩は会社に全員で泊まったそうです。テレビもラジオも備えていない職場だったので、ネットでニュースを確認しながら待機していたようです。
ちなみに、夫の会社の電話も携帯電話もつながりませんでした。私たち家族が連絡を取り合えたのもパソコンのメール経由でした。災害時の家族の連絡の取り方についての確認があらためて必要だと感じました。


NHKのニュースをずっと流しながら、職場のtwitterアカウントで帰宅難民の皆さんへエールを送り過ごした夜が明けました。卒業式は予定の30分遅れで予定どおり執り行われました。式の最中もぐらぐらと余震が続きます。震災の犠牲者に黙祷を捧げ、粛々と式は進められました。
卒業式後、先生方への感謝の意をこめ「卒業を祝う会」を行う予定で計画していたのですが、そちらは中止に。こどもたちにしたら物足らなさを感じる場面もある卒業式だったかと思いますが、その後、次々と卒業式や入学式が中止になる学校が続出したことを考えれば、先生方が精一杯の愛情と決断のもとに実施して下さったのだと理解してくれるはず。


そして「計画停電」。ひととおりの時間帯をすべて経験しました。
職場・自宅が同じグループだったのはせめてもの救いでしたが、停電が日中にかかるときは、自宅からノートパソコンを担いで仕事を行いました。デスクトップパソコンは停電時には役に立ちません(^^;
朝や夕方に停電がかかる時は、暗い中でガスを扱うのが怖かったので、明るいうちに調理するようダンドリの工夫に追われました。



中でも大変心強い味方となってくれたのが保温鍋と鉄製の26インチスキレット。朝ごはんを拵えながら、家族三人分のお弁当を作るのにスキレットは大活躍してくれました。


また、保温鍋は日のあるうちに調理して、真っ暗になった時間でも蓋を開けてまだアツアツというのが有難かった。愛用の「はかせ鍋」は味噌汁専用と化してしまったので、震災を機に「まほう鍋」の高さの低いバージョンを購入。煮込み料理、シチュー作りだけではなく、炊飯にも利用しています。



電子炊飯ジャーでご飯を炊いても、茶碗によそい終わった後はすぐ保温を切っていた私ですが、計画停電となるとごはんを炊き上げる時間がものすごく前倒しになってしまうので、土鍋で炊いたり電子炊飯器で炊いた場合、食べ始めるまでの間にかなりのタイムラグが発生してしまいます。


そのため、食べる直前でもそこそこ温かい状態にしておくための工夫が必要でした。購入した「まほう鍋」は鍋の口径が広く、高さもそれほど高くないタイプだったので、ご飯をよそうのにもちょうど良い大きさ。ご飯が炊き上がってから5時間ほど経過しても、そこそこぬくぬくした状態でご飯が食べられる・・・というスグレモノです。



いまだに収束しない原発事故など、気が重い出来事が続く中、ガスの前に立ち、家族の食事の支度をするひとときは、私にとって心穏やかに過ごせる貴重な時間でした。新しく我が家にやってきてくれた鍋たちは、その大きな助けになってくれました。気がめいるとレシピ本を眺め、心をあたためてから台所に立ちました。心はまだまだ晴れないけれど、少しずつ日常の暮らしを取り戻しています。


食卓にはこんなカワイイふりかけも登場↓



収束しない原発問題。
そして萎縮している日本の経済状況。
職場でおつきあいのあるお店や事業所の皆さんの悩んでおられる姿に毎日胸を痛める日々が続きます。


今年も桜は綺麗だったけれど、まだまだ本当の春は遠いのかな…。
なかなか元気は戻ってこないけれど、それでも足を前へと出してゆこうと思います。一歩が無理なら半歩でもいい。前へ出して少しずつ進んでゆきましょう。
次の世代へ、人にやさしい社会を残すためにも…。