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まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

5/15(日)上尾東ロータリークラブ 第49回公開例会「女優サヘル・ローズさんが語る人と人との絆」

つれづれ

平成23年5月15日(日)、地元・むさしのグランドホテルにて開催された、上尾東ロータリークラブさんの「第49回公開例会」にお邪魔してきました。


この日は通常例会のほかに特別講演がありました。
講師はテレビ・ラジオで活躍中のサヘル・ローズさん。
「逆境を乗り越え、夢に向って生きる」との演題で、戦乱のイランに生まれ、様々な困難を乗り越え現在に至るまでの貴重なお話をたくさんうかがうことができました。



サヘルさんは1985年生まれ。
イランご出身の25歳。18年の在日歴とのこと。
薔薇のような華やかさをお持ちの美しいお姿にうっとり見とれてしまいました。
サヘルさんが会場に入ってらした途端、空気がふわんと明るく変わりました。ちょっと不思議な感覚にビックリ。好きな食べ物は、かっぱ巻きと焼き芋、もずくだそうです(^^


戦争でご両親を亡くし、幼少期はイランの児童養護施設で暮らしていたとのこと。
彼の国の養護施設で暮らす対象は0歳〜12・3歳まで。大きな部屋の中にベッドがずらりと並び、そのベッドの上のみが自分の部屋、衣類は着まわし、お誕生会は年に1回だけ全員を祝う・・・そんな環境で育ったそうです。サヘルさんはこの施設に5歳で入所、7歳まで暮らしていました。


0〜4歳児までは比較的養子の引き取り手が多いそうなのですが、引き取られるまでのお話にも胸がしめつけられました。定期的にオーディションのようなものが行われ、こどもたちがずらっと並べられた所に大人が来て、あれこれ質問しては選んでいき、別室でまた面接をして・・・といった具合に引き取り手がみつかってゆくのだそうです。小さなこどもたちは、何が行われているのかわからないまま参加。サヘルさんも当初、何もわからないまま列に並んでいたそうです。


そのオーディションによって施設を去るこどもたちがいるとは言っても、ごくわずかな数。施設に残るこどもたちのために、イランではテレビCMを流しているそうなんですね。


ある日、サヘルさんに、そのCMに出るチャンスが巡ってきました。栄養が不足していて体が小さかったサヘルさんは、全体の真ん中、前の列でカメラに納まったそうです。そのCMを見て、ある日、ひとりの女子大生が施設を訪ねてサヘルさんに会いに来てくれました。
これが後のお母さんとなる方との運命の出会いとなります。


女子大生は、その後も定期的に会いに来てくれるようになりました。
サヘルさんが喜びそうなお菓子やおもちゃを持ってきてくれたそうです。
「誰かが自分に会いに来てくれた」当初は、ただそれだけがとてもうれしくてうれしくて堪らなかったとのこと。でも、そのうちサヘルさんはこう思うようになります。「どうして手をつないで、ここから外に連れ出してくれないのだろうか」と。


ある日、彼女が帰りそうになった時、ひしっと手をつかみ「お母さんになって!」とお願いしたそうです。その後、彼女は1ケ月あまり姿を見せませんでした。嫌われちゃったのかな、あんなこと言わなければよかった…。サヘルさんは泣いて泣いて泣いたそうです。1ケ月後、女子大生はピンクのかわいい服を持ってサヘルさんに会いに来てくれました。「本当に私でいいの?」その日から、二人は親子になりました。


後でわかったことですが、サヘルさんを引き取ってくださったお母様は、王族のいとこにあたる血筋の方で、サヘルさんを引き取るにあたっては裁判を起こして、血の繋がった親御さんとの縁を切ってまで、サヘルさんを引き取る準備を進めていたとのこと。実の親との繋がりを断ってまでサヘルさんを引き取る決意をなさったお母様・・・。お話をうかがいながら運命の出会い、そして意志の強さのようなものを感じました。


その後、生活に行き詰り困ったお母様は当時の婚約者で日本に住んでいた男性と連絡を取ります。これがサヘルさんが日本に来るきっかけとなりました。来日当初は志木で暮らしておられたそうです。
当時、イランでは『おしん』が放送されていたので、日本人はみんな着物を来てまげを結って…とイメージしておられたそう。来日されて、どこにもそんな景色がなかったのでビックリなさったとのことでした。


日本語のわからないサへルさんのために、小学校の校長先生が1対1で日本語のレッスンを行ってくれたそうです。少しずつ学校になじもうと努力を重ねる中、お母様の婚約者との暮らしがうまくいかず、サヘルさんが虐待を受けるなどの出来事もあり、サヘルさんとお母様は家を出て公園のベンチで2週間も暮らすようになりました。学校でのサヘルさんの様子を見て異変に気がついた給食のおばさんは、公園で暮らすサヘルさんとお母様をおうちに連れて帰り、その後、1ケ月寝る場所と食事を提供したとのエピソードは、過酷なお話が続く中、ほっと心和むエピソードでした。その後、お母様がペルシャ語の通じる会社にお勤めになられて、いよいよ二人の暮らしがスタートします。


勤め先から近いということもあり都内に移住。
決して豊かな暮らしではないけれど、「帰れる家があること、身に着ける服のあることに感謝」しながら日々の営みを丁寧に重ねてゆきます。そんな中、中学でかなりひどいいじめに遭遇。
理科の実験用にバラを持参しなければいけなかった時のお話も印象に残ったエピソードの一つです。


今でこそ、安価に手に入るお花も増えましたが、当時バラを買うというのは、よほどのことがないかぎり、なかなかしない贅沢でした。毎日、ゆでただけでソースのかかっていないパスタを晩御飯に食べていたサヘルさん親子にとって、それは決して楽ではない準備です。
言いだしかねていたサヘルさんに、お母様は「必要なものはちゃんと準備してあげるから大丈夫よ」とパラを買ってあげました。次の日、大切にバラを抱えながら歩いていると、うしろから蹴られ、しかもバラを踏みにじられてしまったのです。お母さまが精一杯の想いで用意してくださった大切なバラ・・・。
悔しくて切なくてずっと目の前は滲み続けたまま。この日のことは、一生忘れることの出来ない辛く哀しい思い出となって、今でも心に残っておられるとのことでした。


バラはイラン原産の花。
しかも、サヘルさんのお名前には「ローズ」という単語が入っています。
踏みにじられたのは、自分自身であり、お母様であり、祖国でもあり。
どんなにか辛いお気持ちだったのだろうな、と私の視界もにじんでいるのがわかりました。


その後も過酷な運命に向き合いつつ、お二人は自殺も考えられたとのことですが、命を断とうとしたその時、サヘルさんは「私はおかあさんのために、まだ何もしてあげていない。このまま死んでは駄目なんだ」との想いが突然こみあげてきて、お母さまに「もう一度チャンスを頂戴。」と生きることを願ったそうです。お母さまも「サヘルが生きるなら生きてみるよ」と。


なんという絆の強さ。血のつながらない母、子がここまで相手を思い、信頼することができるのは何によるものなのでしょうか。
お話をうかがって、心の奥深くが揺さぶられた貴重なひとときでした。
生きることを選択したサヘルさんは、猛勉強をし、大学に進学。
卒業後、民間企業への就職も考えたそうですが、そこでまた彼女はとても大切な決断をします。



「お母さんの名前を歴史に残そう」
「そのためには、まず自分の名前を知ってもらおう」


それが、現在の芸能活動へと続いていくんですね。


サヘルさんの今の夢は「オスカー像をお母様にプレゼントする」こと。
そして将来、「サヘルの家」という孤児たちの施設をイランにつくること。


講演終了後の質疑応答の時間、私は「ハリウッド映画でどんな役柄を演じてみたいですか?」と質問してみました。すると「普段、明るいキャラクターのお仕事が多いけれど、私の中にある暗い部分も引き出した、そんなダークな役柄も演じてみたいと思っています。さまざまな経験を反映して演じられると思うんですよ」と、素敵な笑顔で答えてくださいました。


質疑応答が終わった後、一人の女性がサヘルさんに駆け寄りました。
手にはキレイな花束を持っています。
「自宅の庭から今摘んできたばかりなんですよ。
お話を聴いていて、どうしてもバラをお渡ししたかったので。
摘みたてなので、よい香りがすると思います」
素敵なプレゼントに、サヘルさんも会場に居合わせた私たちも、ニッコリ。


サヘルさんがオスカー像を手にし、受賞の喜びをスピーチする日を私も楽しみに待ちたいと思います。
マイクに乗って世界に届くお母様のお名前・・・フローラさんとおっしゃるんだそうです。見事な大輪の花が咲きますように。


サヘル・ローズさん オフィシャルサイト
 http://sahel.mlacky.net/