まどろむまどログ   - 「快」を求める日々の記録 -

日々の暮らしを心地よいものにしてくれるモノ・コト・ヒトの記録です

こんな「ざりがに」の飼い方も!

中でも「ざりがにを飼わない親」の話は印象的な話の一つ。

高橋先生が、とある学校の校長先生時代の話である。
自然の豊かな環境にあったので、校庭の片隅にご自分で池をつくり、ざりがにを放した。
自然観察が目的であると同時に、こどもたちが「ざりがに釣り」を楽しめるように…と釣り竿まで用意なさったというからスゴイ(*^-^*)
釣ったざりがには、こどもたちが家に持ち帰ってもよいのだ。
学校でざりがに釣って、タダで持ち帰れるなんて、なんて楽しいのだろう!
どの子も大喜びでざりがに釣りを楽しんでいたらしい。

ところが、あるこどもは釣った後「家には持って帰らない」と言ったという。
高橋先生はびっくり。
「タダなんだから、持って帰れば」と言うと「お母さんが飼っちゃだめって・・・」。
高橋先生は、自宅で何か新しいものを用意せずにざりがにが飼えるように…と、ベットボトルの上面をカッターで切り、開閉出来るようにして、どの子にももたせたと言う。
ざりがにの出し入れや餌やりは、その扉から行えるし、中の水が汚れたら、ペットボトルの口からジャーっと流せばいい。
お金をかけず智慧をもりこんで、教材を拵えたのだ…。

そんな手間いらずの容器までつけたのに「飼わない親」がいる。
生き物は、たしかに面倒だ。
きちんと世話をしないと、においや汚れに悩まされるし、死んでしまえば悲しい思いもする。
けれど、と高橋先生は続けておっしゃった。
そういう「生の実体験」を通してこそ分かる「いのちの大切さ」があるはずだ、と。

ざりがにでなくてもいい。
小さな虫でも、コップにさした一輪の野草でもいい。
生活のどこかに「小さないのち」を置いて、こどもたちの身近なものとして欲しい…と。

容器のアイディアもさることながら、とても大切なことを私達オトナが忘れていたことにあらためて思い至った。

感情に流されてしまう「おこる」と事の道理をきちんと言い含める「しかる」の違い、或いは日々の暮らしの中の小さな「仕付け」が繰り返し継続され、習慣化され自然にできるようになってはじめて「躾」となることなど、子育ての上での大切な事柄を再確認した。

こどもと共に生きていくのは、本当に大変。
相手はナマモノだし、子育てだけに専念出来るほど、今の社会にはゆとりがないし、あれこれ抱えた中でこどもと向き合っていくのは、本当に並々ならぬことだと思う。
しんどいけれど、だからこそ自分もまた磨かれていくのだと思う。
息子と共に育っていきたい。